禁煙をする前に

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~する前に一覧><脱サラをする前に>*リンクフリー 無断転載禁止 2011年12月更新

禁煙をする前に(1) 

まえがき・1章  2章  3章  4章             

<禁煙をする前に ・まえがき >

 現在、私は禁煙を継続中(平成27年7月現在)です。今まで幾度となく禁煙に失敗してきた私ですが、今回の兆戦に関しては不 思議なことに禁煙を継続できています。つまり、禁煙に成功している状態ということです。これは本当にすご いことで、正直、自分でも驚いています。なにがすごいかというと、「継続している」ことはもちろんですが、そ れ以上に「費用を全くかけず」に禁煙に成功していることです。
 数年前から、ドラッグストアなどでは禁煙補助剤なるものを売っています。また、医師の指導の元、禁煙に 臨んでいる人もいます。このような禁煙方法は、禁煙に成功する確率は高いかもしれませんが、「費用がか かる」のが難点です。しかも、その金額は決して少なくありません。そのうえ、「費用をかけた」からと言って 必ず成功するものでもありません。
 禁煙補助剤や医師による禁煙方法の成功率は、ネットやいろいろな媒体などから得た情報から私なりに 推測するなら約4割くらいでしょうか。禁煙補助剤のメーカーや医師の方からしますと、「もう少し高い」と言う かもしれませんが、私の個人的感覚ではやはり4割という数字が妥当なところのように思います。
 この数字を高いと見るか低いと見るかは個人差があるでしょうが、この結果を裏返して考えますと、6割の 人が禁煙に失敗していることになります。つまり、これらの失敗した人たちは禁煙に際して費やした安くない お金をドブに捨てたも同然ということになります。これほど悔しいことはありません。そうした悔しい思いをし ないためには、「費用をかけずに」禁煙に兆戦することが望ましいのは言うまでもありません。そして、私は 幸運なことに、禁煙を継続できているわけです。
 さて、これから、私の喫煙者時代から非喫煙者に至るまでの経緯をご紹介しますが、その経緯をお読み になり「自分と共通点がある」と感じた読者がいたなら、その方は私と同じように非喫煙者になれる可能性 があります。例えば、私が喫煙者だったころの心理や禁煙を決断したときの気構え、そして禁煙に兆戦した にも拘わらず喫煙渇望感に負けたときの挫折感、はたまた持って生まれた私の性格など、その幾つかに 共通点がある読者なら禁煙に対して有望と言っていいでしょう。その方は私と同じように「費用をかけずに」 禁煙に成功する確率が高いということになります。是非とも、私の非喫煙者への軌跡を参考になさり、私の あとに続いてください。
 非喫煙者の中にはタバコに対して「百害あって一利なし」などとタバコを一分の隙もなく非難する人がいま す。しかし、喫煙者にしてみますと、タバコにも一つくらいは利があるように考えているのが普通です。元喫 煙者の私としてはその気持ちもわからないではありません。例えば、喫煙によって精神的に癒されるという こともあるでしょう。しかし、この「癒される」という感覚については賛否両論があります。本文でも触れてい ますが、医療関係者などはこの「癒される」感覚は錯覚に過ぎないと一刀両断しています。ですが、喫煙者 からしますと、喫煙によって「癒される」感覚が生じるのも誰がなんと言おうと事実です。
 これらを考え合わせますと、安易に結論を下すことはできません。ですが、ただ一つ言えることがありま す。それは、喫煙には「害がある」ということです。いくら喫煙者が「癒される」実感があろうとも、「害がある」 のも事実です。健康に「害を及ぼす」というマイナス面は動かしようがありません。
 それに対して、禁煙にはマイナス面はありません。全くありません。プラス面しかありません。このような主 張に対して、喫煙者の中には禁煙すると「イライラする」と反論する人がいそうです。ですが、「イライラする」 のは「禁煙したから」ではありません。「禁煙に成功する途中だから」です。禁煙に成功したなら「イライラす る」こともなくなります。
 マイナス面がある喫煙に対してマイナス面が全くない禁煙。どちらが正解であるかは言うまでもありませ ん。みなさんもあきらめずになん度でも兆戦しましょう。
 では、どうぞ。


<第1章>
 タバコをやめるのは難しいです。とても難しいです。「禁煙をしよう」と思っていても思い通りにならないの が現実です。以前、コラムで紹介しましたが、

「禁煙なんて簡単だ。今までになん度やってきただろう」。

 こういう方はたくさんいらっしゃるでしょう。かくいう私もそうでした。タバコは「身体に害を及ぼす」と言われ ていましたから、「やめよう」とは思うのですが、実行できないのです。いえいえ、実行はできるのですが、い つも短期間で終わってしまうのでした。
 禁煙を考えるきっかけはだいたい相場が決まっています。例えば、誕生日。例えば、5年毎の区切りの年 齢。例えば、年末年始。例えば、4月の年度代わり。例えば、就職または転職。例えば、結婚。例えば、収 入減。…こんなところでしょうか。
 「やめたい」のに「やめられない」のはカッパエビセンも同じですが、カッパエビセンはタバコのように非難 されることはありません。その違いは、なんと言っても煙の有無です。タバコの煙は喫煙者の周りの非喫煙 者を非難者にします。
 どんなに喫煙に害があろうとも、喫煙者個人だけの問題で済むならば、それほど非難されることもないで しょう。しかし、あの紫煙がタバコを吸わない人にまで「害を及ぼす」という受動喫煙被害となると、個人の問 題では済みません。喫煙が社会的に問題になるのはこの紫煙が根源です。
 でも…、喫煙者にとっては、あの煙がなんとも言えず心地よいのです。煙を吐き出すときの気分がなんと も言えず、気持ちいいのです。もし、タバコから煙が出なかったなら喫煙に対する思いも半減するでしょう。 …ホッとする、リラックスする、落ち着く、など人により表現の仕方はそれぞれでしょうが、どれもが言い表し たいことは「快感」であることです。ですが、この「快感」も医療関係者に言わせますと、「錯覚」に過ぎないそ うです。しかし、医療関係者がどんなに「錯覚」と主張しようとも、喫煙者にとっては「快感」が実感であるの は紛れもない事実です。ですから、喫煙者に対して「快感」を否定することによって禁煙を求めるのには無 理があります。
 だからと言って、非喫煙者が喫煙者の口から吐き出される紫煙を許容できるはずもありません。受動喫 煙被害は非喫煙者にとって耐え難い苦痛です。この主張に対して、喫煙者は合理的な反論をできません。 その批判から逃れるためには分煙しかありません。しかし、考えようによっては、分煙を実施することによっ てタバコが吸えるのであれば、禁煙の必要性はなくなってしまうことになります。
 私は喫煙者時代にいつも気になっていたことがありました。それは、勤務時間中の喫煙者と非喫煙者の 不公平感です。細かく計測するなら、どう考えても喫煙者のほうが非喫煙者よりも労働時間が短くなりま す。
 具体的に指摘しますと、喫煙者はタバコを吸うために喫煙場所まで行く必要がありますが、その間、仕事 をしていません。一昔前ですと、仕事場でタバコを吸うこともできましたからタバコを吸いながら仕事をする ことも可能でした。しかし、受動喫煙被害が言われている昨今では、仕事場で吸うことなどできようがありま せん。タバコを吸いたいときは喫煙場所まで移動する必要があります。このような状況では、非喫煙者が喫 煙者に対して不公平感を持っても当然です。このことを喫煙者の側から考えるなら、喫煙をするときは常に 後ろめたさを感じなければいけないことになります。このような非喫煙者、喫煙者、両方が不快な気分にな らないようにするためにはやはり禁煙しかありません。やはり、分煙したからと言って「禁煙しなくてもよい」 というわけにはいかないのです。

 これまで書いてきましたように、タバコは喫煙者当人に対しては健康やお金の面で、そして周りの人たち に対しては受動喫煙被害や仕事上での不公平感の面で、などいろいろなマイナスの影響を与えます。こう したことから考えますと、やはり禁煙を目指すのがこれからの社会で生きて行くうえで、正しい方向性のよう に思います。喫煙者を卒業するのが理想です。それに、肩身の狭い思いまでしてタバコを吸うのはストレス が溜まる要因ともなります。ストレスを発散するための喫煙が、反対にストレスが溜まるのでは本末転倒で す。また、今後は、非喫煙者にならざるを得ない社会状況になることは間違いありません。読者のみなさん も、是非とも非喫煙者を目指しましょう。

第 1 章 おわり

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